教育について…もしかして誤解がある!?

2019年5月24日金曜日

意見 教育

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Education


最近、海外も含めて、いくつかの教育関係のブログを拝見する機会がありました。

拝見したブログの皆さんは、大変活発で真剣に話題に取り組んでおられます…頭が下がります。

両親が教育者であったにも拘わらず、教育とは何ぞや、なんて考えたこともない私ですが、今まで途切れ途切れに抱いてきた疑問に触れてみたいと思います…
まあ、勝手にほざいてろ!という反応が想像されますが(^-^;

勿論、専門家ではありませんので、ブログで話題になっております具体的な詳細に踏み込むことは出来ません…要するに、知らないからです(-_-;)

ただ、考え方と疑問の呈し方に関しましては、多少なりともお話できると思います。

さて、教育に関して、カリキュラム等の再検討を含めて、教育はどのような結果を提供するべきかというような話題も多いです。

例えば、今となっては昔から、もっと実践的で実利的な教育をという話題があります。
語学で言いますと、ネイティブから会話の訓練を受けて実際の会話が出来るようにすることとか、経済の分野で言いますと、金融関係(株式も含む)の仕組みを学び、日々の生活に活用できるようにするとか…
そして、そのような教育が、人々が幸せな生活を送ることを支援することになる…現行の文芸教育の時間を半分に減らしてでも行うべきだと主張なさる方も少なくないようです。

別に、そのような主張に異議を唱えるつもりは毛頭ありません…が、教育者が教育が達成すべき目的自体を議論することには違和感を抱いてしまいます。

教育学には方法論の話題が多いと思います…何故なのか、教育の定義を見てみますと、ある程度理解できそうです。

小学館のデジタル大辞典によりますと、
「ある人間を望ましい姿に変化させるために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること」
となっています。

Merriam-Websterは、さらりとした定義ですね。
”to provide schooling (to teach or drill in a specific knowledge or skill) for”
「特定の知識/技術の教授/訓練の提供をすること」

上記の定義によりますと、教育とは、と大上段に構えて考えなければならないような対象でもなさそうですね。

つまり、教育は方法と実践の世界なのであり、その目的、例えば「ある人間の望ましい姿」とは何かということを設定/決定する立場にはないわけです。

要するに、「人間の望ましい姿」を誰かが決定し、それを達成する方法と実践を提供するのが教育ということになります。

従いまして、布教やプロパガンダにみられるような洗脳的なことも教育と言えるわけです。

これは、教育/教育者に対する一般的なイメージと掛け離れているようには思いませんか(^-^;

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