日本の天皇制の短絡的な側面

2019年5月22日水曜日

意見 政治 歴史・文化

大きく咲いた菊

序 文

タイトルにある「短絡的」という言葉には軽蔑的な意味合いがありますが、ここでは、それを意識して使用しています。

何故なら、この投稿は特別に調べて書いている訳ではなく、一般常識的な歴史の流れを俯瞰する形で書いているからです…

勿論、私の見方が正しいとは限りませんが、私は正しいと信じています

宗教の世界と何が違うんだと言われますと、う~ん、神という言葉が絡んでいるかいないかの違いでしかないかもしれませんね(^-^;

天皇による直接的君臨

さて、本題に入りますが、歴史上における天皇の出現は「君臨」です。
神話上の天皇と言われる神武天皇でも、立場は「直接的な」支配者であり、象徴的な立場ではなかったわけです。

(神武天皇は実在したという説を唱える方もおられるようですが、私には実証できません…また、ここでは、その問題は関係しません)

武家の台頭と天皇の役割

平清盛に代表される平家の時代から流れはあったのでしょうが、武士政権の基礎(制度)を確立した鎌倉幕府(幕府は将軍の居場所)の出現により、表面上でも天皇の象徴化が進んだかのように見えるかもしれませんが、決して象徴化という対象/存在ではなかったのです。

 平氏も源氏も天皇を排除はしなかった

権勢を誇った平清盛も武士政権を打ち立てた源頼朝も血統は天皇家なのですが、彼らは天皇を排除したり、天皇になろうとはしなかったようです。

ただただ、天皇を自分たちの権勢を正当化するための存在(バックボーンではない)として利用したわけです。

何故なのだろうか…と考えてしまうわけです。

中国の皇帝の正当化のために脈々と受け継がれた司馬遷の「史書」が思い起こされます。

ただ、中国の歴史に鑑みますと、いわゆる、日本人には、国内の歴史上ではダイナミックな変革を行う器量はなかったとも言えます。

 誰もが受け入れざるを得ない権威


審 判


スポーツやゲームにおけるように、社会の中の争いごとには、必ず、審判が存在します…刑事問題でも民事問題でも、最終的には裁判官という審判がいます。

ルールがある以上は、審判は絶対的な存在です……それを買収するとかの話題には事欠きませんが…

 戦 争

審判が存在しない争いごともあります。
それは、いわゆる、戦争です…現代では、一応、鉛の弾はダメとか、捕虜の人権とかのルールはあると言われますが、そんな戦争のルールなんて、勝てば官軍です(^-^;

戦争は、基本的に、参戦者の意志によって、あるいは、共倒れによって終結します。
そこには、絶対的な権威をもつ審判は存在しません。

支配の正当性


しかし、漁夫の利に屈してしまうような消耗戦は避けたいと誰しもが考えます。
また、たとえ戦いに勝ち、武力で平定したとしても、武力による謀反や反逆が起こる高い可能性が残ります。

従って、戦力を補強し、広く民衆も含めた支持者を増やし、かつ、統治の安定を期すためには、ただ強いだけではなく、正義の御旗が必要となります。

この場合の正義とは、支配者としての正当性です。

日本で、この正当性を保証してくれたのが天皇です…具体的には、天皇より賜れる「征夷大将軍」という朝廷の官位です。
(中国で、この機能を担ったのが司馬遷の「史書」であり、他の地域では宗教だと思います)

絶対的存在=神としての天皇


この「正当性の保証」は、天皇は、武力に関係なく、日本人にとって絶対的存在=神と見做されていたからできたことです。
そこには理屈が入り込む余地はない…つまり、議論の余地はない=有無を言わせないということになります。

武家の支配者は、統治安定のために、神としての天皇の地位を利用し続けたわけです。

統治者としての天皇復活

江戸幕府崩壊に伴う明治維新によって、天皇は統治者として復活しました。
それは、天皇自らが支配権を取り戻すという戦いのプロセスを経たもではなく、明治維新に関わった人々によって祭上げられた、あるいは、担ぎ上げられた神輿のような立場でした。

何れにせよ、天皇は再度君臨したわけです。
その時代に、日本国は日本の枠を超えて大きく成長しました。

敗戦と天皇の象徴化

第二次世界大戦の敗北によって、昭和天皇は人間宣言をなされ、日本国の象徴という地位に就かれました。

この経緯の詳細は、各専門家が色々な角度から書いておりますので、そちらをご覧い頂くとして、私は単純明快に次の点だけを背景として考えています。
  1. アジア大陸に目をやりますと、そこには共産主義の毛沢東が台頭し、同じ共産主義のソ連が南下を虎視眈々と狙っています。
  2. 日本は地理的形状からして、太平洋サイド(米国側)の格好の砦になります。
  3. そのためには、共産主義勢力に対抗する日本統治の安定性が必須となります。
    その安定性を担保するのが天皇でした。
  4. しかし、天皇には、統治の安定に寄与すると同時に、支配者に利用されたという歴史があります。
    その負の部分を排除し、統治の安定のみに特化するための方法として、「日本国の象徴」という非人間的な、つまり、人間宣言にも拘わらず、個人としての意思を表現できない地位が設けられたわけです。

 

天皇制における「象徴」とは、人間でもなく神でもない不明瞭な不可侵の地位です。
これによって、主権国家としての日本の独立は遠のいたと思うのは、考えすぎでしょうか。

このような書き方をしましたので、多分、私の考えを誤解なさった方が多いのではと思います(^-^;

PS.
天皇は日本国籍をもつ日本人です。
従って、憲法が謳う人権は天皇にも保障される筈なのですが、実際には、様々な制限が課されております。
例えば、結婚の自由、職業選択の自由、表現の自由は制限されております。

それが嫌なら、天皇を辞めれば良いではないかとも考えられますが、天皇の地位を捨て去る自由もないのです。

憲法上、国民の総意として祭り上げられた国の象徴としての「天皇」…国家元首として定める条文もない…どう考えても、人身御供と似たようなお立場ではないでしょうか。

ですから、「人間でもなく神でもない不明瞭な不可侵の地位」と申し上げるわけです。

Translate

ブログ内の検索

アーカイブ

ラベル

QooQ