奇妙なお話です…

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猫と子供
何が奇妙かと言いますと、客観的には不思議でも何でもなくても、自分自身の視点から意識すると不思議に思うことです。

具体的に分かりやすく説明することは難しいのです…
今まで、何回か(何回もではなく)他人にも理解できるような説明を組み立ててみようとしましたが、出来ませんでしたね(-_-;)

ですから、説明しようとするよりは、相手に疑問を抱かせるような刺激を与える方法がイイのではと思っています。

各自が次のようなことをイメージしてみて下さい。
  1. 自分はスクリーンを見ています。
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  2. そのスクリーンの中には、自分が主人公でいると想定します。
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  3. 自分は、そのスクリーンの中で日常の活動をしています。
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  4. そのスクリーンを見ている自分は、主人公が知らない場面も映し出す映画とは異なって、そのスクリーンの中の自分の目を通してだけの世界しか見ることができません。
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  5. つまり、そのスクリーンを見ている自分は、そのスクリーンの中の自分が認識できる範囲のみを認識しているだけです。
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  6. スクリーンの中の自分が、例えば、アフリカに行ったことがないのであれば、そのスクリーンの中にはアフリカは映し出されません。
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  7. 勿論、そのスクリーンの中の自分が、映像でアフリカを見ていることはあり得ますが、そのスクリーンを見ている自分が行ったことのない現実のアフリカがそのスクリーン内に現れることはありません。
このイメージは、正に、自分自身を客観視している状態なので、一見、陳腐なことのように思われます。

ですが…私は、そこに「客観視」という言葉だけでは納得しきれない違和感を抱いてしまうのです。

個人個人は、それぞれの五感でもって周囲と接しています。
それぞれが認識する世界…それが狭隘な世界であっても、それが、それぞれの現実の世界なのです。

確かに、自分というものが消滅した後のことまでも考えて行動なさっておられる人々が普通におります。
私も、その中の一人であると言えます。

しかし、自分の消滅と同時に、自分にとっての現実も消滅します。
つまり、そのスクリーンを見ている自分が消滅した後も、そのスクリーン内の自分だけが存在することはあり得ない、また、その逆も同様だ、と私は思っています。

宗教的に捉える方々も多数おります。
彼らは、そのような消滅は精神的消滅をも意味するものではない…
スクリーン内の自分が消滅しても、そのスクリーンを見ている自分は存在して続けると言いたいのでしょうが…
精神的な存在(?)がどうような意味を持つと言うのでしょうか。

それは現実の世界が作り上げた人間の欲望(物的であろうと精神的であろうと)を満たすだけのものでしかない、と私は思います。
何故なら、そこに人間の認識の限界があるからです。


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