男女の絶対愛!?

2017年7月4日火曜日

愛情 意見 映画・ドラマ 社会問題

(2010年1月9日に認めたものです。記録しておくための投稿です)

映画「ヘルボーイ」を観ました。

映画ヘルボーイのポスター

単純なストーリーですが、“男女の絶対愛”とでも言えそうな展開に感動したというところでしょうか。

“男女の絶対愛”などという、そんな言葉はありませんよね……

ストーリーの中で、「世界を救うこと」と「愛する者を助けること」のどちらを選ぶか、と問われる場面で、主人公は「愛する者を助けること」を選ぶと答えた時に、オッ、これは”男女の絶対愛”だあ~、などと思ってしまったのです(^_^)

何故に人々は“愛”というものに感動するのでしょうか?

バーチャルな世界の中には“愛”が溢れかえっています…
小説・映画・ドラマ・音楽・漫画・アニメなどなどにです。

安っぽい芸術的なもの程、“愛”を強調しているようですよね(^_^)
…その方が短絡的に感動を引き起こしやすいからです。

しかし、現実の世界では人々は冷静のようです…
いや、冷静すぎるようにさえみえます。

実利的過ぎる現実の世界で抑圧された感情をバーチャルな世界で開放しているということなのかもしれません。

一種のカタルシス現象と言えそうです。

もう一つの由々しき側面は、
日々の社会活動のなかで起きている諸現象を人々は、連続的な意味あるものとして捉えきれなくなっていることではないでしょうか!?

原因は、錯綜する社会の中で人々が、余りにも急かされていることにあると思のですが…

森の中に枝振りのイイ巨木があったとしても、そばに立って、おおー、と感動して惚れ惚れと眺めるようになる前に、恐怖を抱いてしまうかもしれませんよね。

ところが、それを小型化し盆栽という形にしたとすれば、愛でることは簡単です。

つまり、現実の世界が「森」で、バーチャルな世界が「盆栽」とも言えるのです。

質問に戻って、何故人々は“愛”に感動するのかと言いますと、人間の生理はそれに感動するように仕組まれているからです。

その機能は、人類の種の保存を目的とします。

要するに、人間が“愛”に感動しなければ滅亡していたということになりますよね。

少子化問題も、その辺に課題がありそうです…

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