「競争」の本来の意味

2017年6月25日日曜日

意見 社会問題 人権 歴史・文化

アジサイ
アジサイ

「競争」とは、元々、生存競争のことだったんではないですかねぇ。

生命を維持し種族を保存するための環境には限りがあり、そのために種族内や他の種族との生存競争が繰り広げられて来たんではないんですしょうか。

それは生きるための競争であり、より生命力の強い個を残し種族の保存をより強固なものにするための競争です。

それ以上の競争は、生物にとって本来必要ではなかった筈でなんです…

それなのに何故、人間社会だけは、それ以上の競争を助長してきたのでしょうか?
勝ち残り続けてゆく人間達が、人間がオールマイティーとして創造した「神」により近づくためなのでしょうか?

競争あるが故に人間社会の進歩発展があるとか言われます…
(共産主義社会に対して資本主義社会を正当化するために良く利用された言葉でもあります)… 進歩発展の究極は何なんでしょうね?

それは、つまるところ、
社会の勝者達が健康な体で限りなく長生きすることなのでしょうか?

いずれ科学技術の進歩が、古い体から新しい体に全てのデータを移行させることも可能になるでしょう。
そうなると、勝者達は永遠の生命を得ることも可能になりそうです。

それが社会の進歩発展の究極なのでしょうか!?

世の中には様々な人々がおります。
競争に打ち勝って高級車を乗り回したいと思っている人々やコンパクトカーや軽自動車で満足し、能力云々は関係なく、それ以上の競争は望まないという人々もおります。

金額的に高い競争を望まない人々は、社会において価値の低い存在なのでしょうか?

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