日本という国名が決まったのはいつ?

2015年1月9日金曜日

政治 歴史・文化

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「日本」という国名が決まったのはいつなのか…

考えたこともありませんでしたが、どうも、倭国と日本国を混同してしまっている場合が多そうです…
日本地図…形だけ

建国記念の日は2月11日と定められていますが、決まった当時(1966年)の歴史家たちは反対したんだそうですね…

何故って、神話に基づいた紀元節の復活で、しかも、建国記念の日となった神武天皇が即位したといわれる紀元前660年(弥生時代)には「日本」という国はなかったんですからね。

因みに、建国記念日設定に神話が用いられているのは、日本と、剽窃と妄想で悪名高き韓国だけのようです(-_-;)

まあ、韓国の建国記念日は宇宙創造の日だ言い出しかねないと揶揄されそうな国ですから…

ところで、厩戸王(聖徳太子=6~7世紀)は「日本人」ではなかった、と言いますと、エッ、朝鮮人だったのか!? と過剰反応しがちかもしれませんが、そうではなくて、「倭人」だったのです。

当時の遣隋使は「倭国王の使い」として送られているのですから、当時は「倭国」であったのであり、「日本国」ではなかったのです。

それでは「日本」という国名はいつ決まったのか…

現在の歴史学者たちが一般的に認めているのは、689年だそうです。

天武天皇が編纂を開始し、その死後に皇后の持統天皇が689年に施行した「浄御原令」 (きよみはらりょう)があります。

その浄御原令に「日本」という国名が明記されているとのことです。

対外的には、遣唐使の栗田真人が702年に「日本」からの使いであると述べたのが最初と言われているようですね。

我々日本人の多くは、「日出る処」「日の本」というイメージを誇りに思っているかもしれませんが、どうも命名は単に中国大陸から見て「東方」という位置からきているのではと言われています…

日本に居れば、日は更に東方から上ってくるわけですから、まあ、日本に居て「日の本」とは感じないでしょうね…

しかし、それなら、
東方国でも良かったわけですから、わざわざ「日本」としたことには、それなりの意味があったのではと思います。

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