元検事の森川大司の態度は、正に、お上である―官僚たちの由々しき体質

2010年1月22日金曜日

マスメディア 官僚 政治

雨に濡れたバラの少女

森川大司元検事の辞書には「責任」という言葉はないということですね。

彼に限ったことではなく、他の官僚たちもそうなのでしょう。
再審中に謝りの言葉一つも発せられなかったということに驚愕してしまいました。

民間の会社であれば、如何なる理由があろうとも、出てきた結果が悪ければ担当責任者は責任を負わなければなりません。
極めて常識的な現象です。

然るに、官僚たちは……

彼は、職務を忠実に遂行しただけで、出てきた結果は"Beyond My Control"と信じていることでしょう。

あるいは、最悪のケースとして、今でも菅家さんは犯人だと信じているかもしれません…
この方が救われるかもしれません。

刑法に携わる法曹には「疑わしきは罰せず」という貴重な理念があります。

その理念さえも国家権力を行使する立場の法曹には無縁のものなのでしょう。
森川大司元検事は象徴的な態度を示してくれただけで、彼固有の精神構造ではなく、国家権力を行使する立場の官僚たちに共通する精神構造なのでしょう。

そのような輩の集団が官僚の世界を形成しているのです…ギョっとしませんか!?

マスメディアたちの報道も極めて遠慮がちです。

連日の小沢バッシングと比較するまでもなく明白です。
彼らもまた、マスメディアの官僚との癒着が如何に現実的なものかを具象しているのです。

そのような腐敗しきった構造を新しい政治が変えようとしており、その先頭に立ってきたのが小沢一郎です。

彼なくして新しい日本の船出をイメージすることはできないのです。

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