米国の核の傘で日本は本当に守られるのか?

米国に依存することによって日本の経済発展が達成されたことは事実だと思いますが、それによってに日本の主権国家としての独立性が確立されてこなかったことも事実です。

米国の核の傘下で日本の安全が維持されてきてた、そして、今後も維持されてゆくと考えているとしたら、それは幻想を抱いているだけのことであり、非現実的です。

それは過去の米ソの直接的・間接的局地戦争を見れば分かります。
全て両国の領土外です。

元々、両国には相手国を直接攻撃する意志はなく、ましてや核攻撃など思ってもいなかったことでしょう。
両国が直接攻撃し合うと共倒れになるのですから…当然です。

従って、ソ連が日本を攻撃の対象にしなかったのは、米国の直接的な核攻撃を懸念したからではなく、日本には軽視できない軍事力があり、且つ、政治は安定していたため局地戦を作り出せる状況にはなかったのです。
また、リスクを犯してまで日本を攻撃する戦略的価値がなかったとも言えます。

今度は中国が脅威の対象になってきています。
私も中国は直接的・具体的脅威になりうると思っています。
現代の中国においても、真の最高権力機関は中央軍事委員会であり、中国共産党中央委員会ではないと言われています。
そうであるなら、中国の統治の仕方が非常に暴力的であることも頷けます。

韓国と同様に中国も反日教育を徹底しています。
その教育を受けた人々が国の中枢を占めるようになってきているのですから、感情的な爆発が起こらないとも限りません…由々しき問題です。

それでは、日本が米国の政治的・軍事的腰巾着という評価をされ続けていった場合に、米国は中国の脅威から日本を守ってくれるのでしょうか?
答えは"Yes"であり"No"でもあるでしょう。

問題は、中国の政治体制に対する国内で不満が膨れ上がり、突き上げが大きくなってきた時です。
中国政府は、その不満の捌け口を日本に向けさせる手段を講じる可能性があります。
それは、軍事力の行使につながる紛争を意図的に日本と起すことです。
中国人の嫌いな日本は格好の標的になります。

中国が最初に日本を攻撃してくるでしょう。
日本は防戦し、米国は仲裁に入ろうとする筈です。
仲裁が挫折しない限りは、米国は中国を攻撃することはないでしょう。

そして、米国の仲裁に中国は応じる筈です…
米国を巻き込んでの日本局地戦は中国にとっても米国にとっても価値がないからです。
ましてや、米中とも核を使用することなど考えもしないことでしょう。

中国の経済的・政治的重要性を高めてしまっている米国による仲裁の内容は、ケンカ両成敗とはならず、中国側が日本の被害を補償する見返りとして尖閣諸島のみならず沖縄の離れ島が中国の領土となってしまう可能性が高いです。

問題は、初期攻撃で日本は大きな被害を被るということです。
でも、日本国が維持されるということで守られるということになるのでしょうか!?

なんか納得し切れませんよね……
これでは、少なからぬ日本国民が絶えず死あるいは被害にあう危険に晒されていることになります。

残念ながら、どう考えても米国の核の傘は真の抑止力にはなり得ないのです。

従って、日本は独自の抑止力足りうる防衛手段を追求する必要があります。

ひとつは、平和外交を推し進めるということです。

しかし、国家主権もまともに守れない軟弱外交の基盤しか持たない日本に主体的な外交力をどの程度期待できるのでしょうか?

もうひとつは、憲法を改正し普通の国になり、世界最先端の質の高い防衛技術と攻撃技術を開発することです。
実践可能な戦略構築能力を高めることも必要でしょう。

それを達成することによって日本は核兵器を保有する必要がなくなります。

どちらも簡単ではありませんが、可能性の高い方は後者かもしれませんね。

日本が経済的に優位に立っている間は問題が起きるか確率は低いかもしれませんが、徹底した反日教育を受けてきた中国や韓国の人たちが国の中枢を占めてゆくことを安易に考えるべきではないと思います。

天皇の国事行為と公的行為 - 何の違いがあるの?


憲法第3条~7条に規定されている天皇の国事行為の中に含まれない行為は、公的行為として位置づけられているようです。

たとえば、外国の大使および公使の接受は国事行為であって、それ以外の接受は公的行為ということになるらしい…

マスメディアはこの点を論って、国事行為と公的行為は違うのだと騒ぎ立てている…

こんなことで共産党の志位委員長も昨日の読売新聞で、小沢非難に利用されています(笑)

極めて論理的であろうとしている志位さんでさえも国事行為と公的行為を区別しているのですね…
ちょっと失望しました。

お遊びで考えますと、
憲法で規定されていない外国の大統領や首相の接受は公的行為といういうことになり、大使・公使の接受よりも格下!?
というイメージになりますよね……
変な感じがしませんか?

「国事」とは、
国家に直接関係する事柄であり、政治的な事柄のことですよね。

国事行為とは異なると言われる「公的行為」は、すべて政治に関係しない事柄なのでしょうか!?

万が一、そうだとするなら、中国国家副主席との会見を公的行為とした場合、政治には関係しない接受ということになってしまいます!?

占領下で作成された憲法第7条の背景には、天皇といえども、外国の大使・公使のレベルと会う程度で、それ以上のレベルと会わせる必要はないという意図が窺われます。

単なる形式的な国家元首の位置に留めて置くために、外国政権の当事者(大統領・首相など)とは会わせない方が良いとの判断がなされたものと推察されます。

憲法第4条
「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、……」が非現実的なものになり、「公的行為」という概念を付け加えたということなのでしょう。

憲法改正を行わずに糊塗してきたことが騒ぎを大きくしている
ようですね(笑)


天皇は政治的存在である!

政治家小沢一郎はとにかく面白い!

好きか嫌いか、同意できるか否かを国民が判断出来るように、明確な言動を示してくれる貴重な政治家です。

若手も含め殆どの政治家はぬえ的で、信頼すべきか否か判断しづらくて不安感を抱かせます。

ですから、小沢氏は昔から非常に際立っている政治家なのです。

しかも、小沢氏は、他の政治家とは違ってマスメディアになびきませんから、不遜なマスメディアとしては恥も外聞もなく彼をバッシングし続けるのでしょう。

普通の政治家なら、マスメディアに叩かれ続けてとうの昔に降参するか潰されるかしていたのでしょうが、如何せん彼はへこたれないどころか、のし上がってくるものですから、米国一辺倒の旧体制に拘るマスメディアの背筋も凍ってきているのかもしれませんね(^_^)

今回も、次期中国の主席と目されている習近平国家副主席と天皇陛下が会見なさることをを強引に進めたと言われ(小沢氏本人は否定していますが)、天皇陛下の政治的利用であると姦しく非難されています。

また、政治的中立の意味が分かっていないとしか言えない宮内庁の羽毛田長官がマスコミに苦言を流したものだから、小沢氏が怒って憲法上の解釈を持ち出して反論したことにマスメディアが飛びついた状況です。

読売新聞などは、有識者(学者)2~3人に小沢氏の発言を批判させています。

公平を期する新聞としては賛成意見と反対意見を同数掲載するべきなのに、賛成意見を全く掲載しないのですから恰も戦時中のような報道です…

厚顔無恥と言えます。
さて、問題の核心ですが、天皇陛下は政治的に利用されてはならないということは幻想でしかありません。
憲法に謳われる「国事行為」とは、国の政治に関する事柄を行うことです。

しかし、 憲法上それは天皇自らの意志でもって主体的に行うことではなく内閣の助言と承認により行うことになっています。
すなわち、実態は時の政権が天皇を政治的に利用しているということになります。
野党にはその資格がないのです。

つまり、天皇は政治的に独立していない、あるいは、独立してはならないということですので、天皇の機能をサポートし取り仕切っている宮内庁の役人が時の内閣に表だって苦言を呈することは大問題なのです。

このような問題が高じて宮内庁の発言・意見が内閣に対して力を持つようになってきますと、内閣が宮内庁の顔色を窺うようになり、ついには天皇陛下のお言葉として宮内庁が内閣に内々に影響を与えることになりかねません。

政党によって宮内庁の態度が変わるという可能性もあります。

このようなことが起こるとしますと由々しき問題です。

中国の歴史で宦官が実権を握った過程に鑑みますと、全くの杞憂とも言えないでしょう。

要するに今回のマスメディアの騒ぎも、為にする…

つまり、一連の小沢バッシングの一環でしかないのですね。

田原総一郎氏はいつ世代交代するのか?

政治評論家というよりは司会者とかインタビューアという方がしっくりきそうな田原総一郎氏は、相も変わらず「サンディープロジェクト」の顔を続けておられます。

私も「朝生」には一時期大変お世話になりました…
と言っても、一視聴者にすぎませんでしたが(^_^)

個人的には、率直に言って、
10年以上前から彼の態度や意図にムッとするようになっています。
  • 若手と称される議員達をゲストに迎えて、突っ込みの時は「実は、一番信用できる人と期待しているんですよ」などと、おべんちゃらを誰にでも言うワンパターンが鼻につきます。
  • 実は、ゴテゴテの55年体制支持者であるにも拘わらず、恰も進歩的で弱い者の味方というような素振りをしてきたことが、たとえ商売上のこととはいえ、人格を疑わせます。
  • キレがなくなり、面白味もなくなりましたね…ワンパターンの仕事に飽きてきたのかもしれません。
今までことある毎に世代交代の必要性を叫んでこられた方ですから、率先して実行なさっては如何でしょうかとお伺いを立てたくなります(^_^)

尤も、「サンディープロジェクト」から外れるという噂がありますので、実行するのではなく、させられる結果になるかもしれませんね。

楽天からの迷惑メール

ダイレクトメール…要は宣伝メールですが、頼みもしないのに勝手に送ってきます。
迷惑甚だしいと周りの連中が怒っています。

配信停止用の URLが記載されており、手続きをしろとは書いてますが、その説明は分かりづらい内容です。
配信停止をワンクリックで行えるという手続きではないのです。

第三者が勝手に配信停止を行えないようにしていると善意に解釈することも可能かもしれませんが、勝手に送信してくるメールですから、その配信を第三者が停止してくれるなら大助かりです(^_^)

個人情報保護の理念が適切に理解されていないことが大きな社会的迷惑を生み出しています。
個人情報保護法の目的には「個人の権利利益を保護」と謳われておりますが、要するに個人が被る被害・迷惑等を防ぐことが目的です。

従って、楽天などの登録時の規約に「ダイレクトメールを送ることがあります」などと記載されていても、当事者が依頼もしない宣伝用のダイレクトメールを配信するすることは
法律違反になるのではないでしょうか。

当事者の事前の了承なしにダイレクトメールを送る場合は、規約に関するお知らせなどのメールに制限するべきです。

この手の迷惑メールに関して、インターネット普及国では何処でも行われている必要悪かのように言って正当化しようとするなら、主体性・自主性に欠けること甚だしいと言えます。

他国はどうであれ、不適切・不当なことであるならば、日本では行わないようにすれば良いだけです。

小沢一郎の発想と理念 - 一般的に知られていること

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小沢一郎は、マスコミ・学者・評論家等に、理念がない、政策がない、政局だけの政治家だと決め付けられるケースが珍しくありません。

彼らは何も知らずに編集者の言いなりに書かされていることが分かります(笑)

しかし、多少なりとも彼に興味をもったことのある方なら、そのような人物評を臆面もなく行う有識者達は、如何に破廉恥な輩であるか分かっている筈です。

彼ほど一貫して政治理念・政策に拘り続けている政治家はおりません。

(彼が書いてきた出版物などや自由党時代の11法案および民主党代表時代の「共生」等をちょっとでも目を通せば分かります= 賛同するしないは別次元の話です)

今日は、小沢批判を続けていた森田実という政治評論家が書いた本『「小沢一郎」入門』(三笠書房)の中に、小沢一郎が民主党の代表だった時に森田氏が行ったインタビューの内容が分かりやすく書かれてましたので、それを抜粋要約してご紹介します。

特別なものではなく、その殆どが以前から知られている内容です。

【小沢の外交基軸】

日米中の正三角形外交の展開。 日本と米国と中国の政治家同士が本音で話し合える状況をつくる。

【小沢の目指す社会・国】

小沢はまず日本社会、日本人の心の荒廃を憂える。
「共生」の理念を前提とし、一部の勝ち組だけが得をする社会ではなく、黙々と働く人、努力する人、正直者が報われる公正な社会、国を目指す。
小沢は「地方の雇用創出」「農業」「教育」を手がけたいと抱負を語っている。
これは1987年の私(森田実)のインタビューで答えていることだ。
小沢は20年の間、少しもぶれない政治家である。(森田評)

【小沢の靖国観】

小沢の靖国観は分祀である。
第二次世界大戦当時の国家指導者達およびマスコミは、日本国民に対して戦争に駆り立て指導した責任がある。
東条英機に代表される指導者達は捕虜になるぐらいなら死ね(生きて虜囚の辱めを受けず)と特攻や自決を強要した。
沖縄などでは多くの民間人までもが自決している。
その戦争責任を負うべき張本人達は自決もせずに裁判を受けた。
小沢は、彼等は英霊に値しないと断じている。

【小沢が国民に求める意識】

「自分たちの手で自分たちの日本をつくる」
民主国家において主権は国民にある。
主権の最大の行使の場は「選挙」である。

【小沢の憂い】

  • 日本人の心、精神の荒廃←現状不満将来不安、身勝手な競争→日本社会の豊かさや平穏さを砂上の楼閣にしつつある。
    .
  •  日本の政治的・経済的危機
    (1)地方自治体の破綻・疲弊
    (2)米国も経済的不安定要因が大きくなってきた。
    中国の政治・経済両面の不安定要因が表面化すると、極東地域は現在の中東以上に困難な状況に陥るだろう。
    日本経済全体は現在、このような米国と中国の動向に大きく影響されている。

【大切なことは国民自身が立ち上がること】

「自分自身の手で日本をつくる」という民主主義の意識をもつことが大切。
国民に不平・不安を抱かせる間違った政治の下では、金持ちやゆとりのある人達は痛くも痒くもない。
しかし、その他大勢の国民は被害を被ることになる。
これを是正する、変えるために国民一人ひとりが行動を起こすべきだ。

【自由と平等】

「自由」と「平等」は調和可能。
それを行うのが政治であり、非常に重要な課題。
平等社会は日本古来の風土であったが、急速な近代化のなかで平等を維持するためには「規制」手段を強化する以外に方法がなく、必然的に官僚統制にならざるを得なかった。
順調に成長が続いた時代は、「配分の平等」もうまくゆき官僚支配の問題も表面化することがなかった。
しかし、歴史の転換点である「冷戦」の終結とともに、各国の利害が直接ぶつかり合う時代がはじまり、日本にも大きな影響をもたらした。
  • 国のあり方、仕組みなどを日本が自分自身で新たに決める必要性
  • 平等社会を官僚が統制するシステムの弊害が表面化し、社会の各方面から不満・不安が出てきた
大変化の時代に入り、「平等」だけでは日本はやってゆけなくなった。
「自由競争」と「平等」の共存 = 政治の最(?)重要課題
○日本的な平等のシステム=セーフティネットの再構築(もう少し洗練されたもの)
○日本人の不十分な自立性と主体性
⇒ 市場原理主義的自由競争に対して不適合
⇒自由競争の原理を導入する範囲を一定以上の地位の人々に限定する。

日本古来の平等を旨とする哲学と、欧米流の合理性・論理性を追求する自由競争との共存の志向。

【真のリーダーの育成】

欧米のリーダーは日本人より、必死になって朝から晩まで徹底して考え、身を粉にして働いている。それだけの知識と才能と見識を持っている。
そのようなリーダーこそ、今の日本社会には必要⇒官庁・民間の一定以上の管理職に自由競争の原理を導入し、徹底的に競わせる。

【民主党がなすべきこと】

基本政策の確立 ⇐ まだ日本的な曖昧さを引きずっており、色々な基本問題について明確な結論を出していない。
世界・アジアの中の日本の位置づけと考え方(戦略)の確立が必要⇒ 基本政策なくして枝葉の部分だけいじっても意味がない。

前原元代表の「対案主義」は、それ自体は悪いことではない。
しかし、役人の出してきた原案をベースにして言葉を少し変えたり手直ししているだけでは、官僚の掌の上で転がされているということになる。
「原案より少しはいいだろう」では民主党の存在理由がない。
国民は民主党に自民党の亜流を期待しているのではない。
選挙運動というものはつらい。
選挙運動をしなくていいのなら、国会議員ほどいい職業はない。
しかし、それでは政権は取れない。

今、国家・国民のために全力で働く政治家が必要とされている。

年金 - 納入済保険料と期間の確認は重要!

社会保険庁の社会保険業務センターから送られてくる納入済み保険料及び期間の確認書は、入念にチェックした方が良さそうです。

期間に関しては間違っている、あるいは、欠落があるという先入観をもって調べた方がイイですね(^-^;

特に、転職経験のある方は要注意です!

若い方々は、
給料が変わった月の給与明細書と毎回の賞与支払い明細書を保管し続けることをお勧めします。

今までの政治は、警察・検察の発想と同じ!?

一次的な、最初の特定事件発生を予防する、あるいは、未然に防ぐ基本的な役割を警察や検察は持っていないことになっています。

一種の制限的な発想です。

一見不合理なようにも思われますが、「未然に防ぐ」ということを基本的な役割に加えることは、歴史的な問題が繰り返される可能性が高まるということになります。

歴史上、物理的強制力を持つ国家権力を利用した、特定の支配層による不満分子(反対派など)の粛清が思い浮かびます。

犯罪を犯す危険性が極めて高い人物あるいは集団を、事前に拘置所や精神病院に隔離してしまうということは、犯罪を未然に防ぐという点では大変意味あることのように思われます。

しかし、「危険性が極めて高い」とする判断が特定の支配層を利するために利用されたことは歴史が証明しています。
特高警察などが例となります。

一般庶民の欲望よりも特定の支配層の欲望の方が圧倒的に強く、しかも、広範囲に及びます。

一般庶民は欲望を達成する手段が貧弱ですので、かなり手前で欲望を自制してしまいます
が、特定の支配層は有効な手段を広範囲に持っていますので、ゲーム的な誘惑も含めた欲望に限りがありません。

従って、特定の支配層による排斥・粛清は過去の話ではなく、現代でも複雑に張り巡らされた仕組み・機構の中で行われてきています。

別に不思議なことではありません。

立法・行政・司法を司る政治機構を特定の支配層が利用しようとしないと考える方が非現実的です。

勿論、「未然に防ぐ」という基本機能で助かるであろう被害者達も少なくないかもしれません。

ストーカーから犯罪(殺人・暴行など)に至ったケースも、それが積極的に機能していれば未然に防げたかもしれません。

しかし歴史に鑑みますと、
その機能の特定支配層による乱用・悪用が大きな懸念となります。
その乱用・悪用による国民全体の被害は甚大です。

従って、「未然に防ぐ」機能が特定の犯罪には及ばないことによる個人的な不利益は、必要悪的な結果として黙認されることになります。

社会全体の犯罪性・犯罪の要因等を減少させることを政治に期待するしかありません。

さて、今までの日本の政治は、上記のような傾向が強いと言わざるを得ないようです。
政策は、問題が現実になってから打ち出される場当たり的なものと言えそうです。

例えば、少子化問題がそうです。
この問題は20年以上も前から判っていた筈ですが、実際に政治上で慌ただしく問題化されたのは此処数年のことです。

少子化問題は人口減の問題であり、年金問題だけではなく社会経済構造全体に直接関係する問題でもあります。

逆に考えますと、少子化問題の要因は、それだけ錯綜していると言えます。
単純に子供手当や保育環境のインフラを整えれば解決するという問題ではないのです。

問題が表面化する前に、将来を見越した適確な対策が政治上で講じられてこなかったこと自体が大きな問題です。