亀井大臣の発言は不遜か?

2009年10月7日水曜日

意見 官僚 社会経済 政治

岸辺に咲く彼岸花
岸辺に咲く彼岸花

静御前のような容貌と見えないこともない亀井大臣は、たとえ小政党を際立たせるための手段であったとしても、鞍馬天狗(古すぎ!?)のような発言をなさる方ですよね(笑)

大いに感心しています。

亀井大臣
民主党の閣僚たちも、そのような自己を鼓舞するような発言をして欲しいのですが…

小賢しい事務屋が多すぎるようですね(笑)
周囲に気を遣いすぎますと、本当に官僚達に取り込まれてしまいますよ!

亀井大臣、頑張れ!と応援したくもなります…
落としどころが何処であろうともです。

市場原理主義と言いますとアダム・スミスを彷彿させてしまいますから、新市場原理主義などと言ってますが、それは、資本の論理が確立された市場体制下での幻想的な自由競争なので、社会のパイ(富)を富める者に更に多く分配してしまうメカニズムでしかありません。

そういう意味では、「新」の付かないただの市場原理主義の方がマシだったと言えるかもしれません。

その新市場原理主義は、日本では2001年から始まった小泉政権時代に米国の後追いで
社会経済政策に反映されました…
その先輩の米国では既に反省され始めていた時にです。

マネー・ゲームの覇者とも言えるジョージ・ソロス氏も、その原理主義はダメだと主張していたんです。

遂には、ニューヨーク・タイムズに、日本は世界に誇った均一社会(一億総中産階級という意識をもった社会)を捨て去ったと揶揄(?)されました。

かつての米国がそうであったように、日本の中産階級の大きな部分が崩壊してゆき、貧困層が広がり、急速に格差が拡大されてゆきました。

正真正銘の格差社会の仲間入りをしてしまったのです。
社会のパイ(富)が偏りすぎたのです。

それと共に、経営者達の企業倫理が、社会的責任を負うという自負の念が希薄になってきました。
適切な利益ではなく、最大の利益を何が何でも追求するという強欲な経営理念に変わってきたのです。

空腹を満たすことで満足する"ライオン"ではなく、必要以上に殺戮してしまうと言われる"トラ"になってしまったのです。

政・官・業・マスメディアの癒着の主導の下に作り上げられた格差社会と言ってもよさそうです。

「衣食足りて礼節を知る」という言葉は真理をついています。
格差社会へ移行すると、倫理・道徳が乱れ、精神を病む人々が増えても不思議ではありません。
そのような社会状況は、犯罪を助長します。

直接手を下して殺人を行うと罪に問われます。
直接手を下さなくとも、誰かに依頼して行う殺人も同様です。
また、交通事故のように誤って人を死傷させた場合も責任を問われます。
普通に、一般的な市民なら誰しもが納得しうることですよね(笑)

個人が、何気なしに言った言葉によって仲間の誰かが自殺したとするなら、法的責任を問われないにしても、その個人は良心の呵責に苛まされたとしても不思議ではありません。

ならば、ある政府がとった政策によって多数の国民が死に至ったとするなら、それは殺人に相当するんでしょうか!? 
法的には殺人になりませんよね…

政策は特定の人々が恣意的に決めるものではなく、国民の多数が選出した議員達の合意によるものであるという、一種の集団心理も働いています。

しかし、それでイイんでしょうか?
社会的な罪の重さという観点から捉えますと、一人の殺人よりは際立って重い筈です。

亀井大臣の一連の発言に、そういう背景を考えさせられてしまうのです。

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