日本独自の道

2009年10月19日月曜日

意見 社会経済 政治

赤と白の彼岸花
赤と白の彼岸花

釣りには色々ありますが、定期的に放流を行っているところでもない限りは、大都市圏の多くの釣り場の殆どが荒らされてしまい、今では、以前は、よく釣れていたんだがねぇ~という話をよく聞くようになりました(笑)

また、魚よりも釣り人の数の方が多いんではと思わされる光景をよく見かけます。

船釣りは5~6回やったことがある程度で、もっぱら、陸釣り(堤防や磯からの釣り)です。

釣り場情報も氾濫していますが、かつてはそうだったという印象です。

漠とした見方ではありますが、経済活動のリーダー達を釣り人と想定すると、世界市場
も、そんな状況になってきているかもしれませんね。

世界的な経済システムが社会の「富」をより広く行き渡らせるように変わってゆかなければ、グローバル経済活動の限界も打開されそうにありません。

今は、先進国の人々の購買対象が変わってきており、それに企業が対応できていないという状況ではなく、購買欲はあるが購買力がなくなってしまたという状態ではないでしょうか。

米国のサブプライムローン問題に端を発した住宅バブル崩壊が引き起こしたリーマンショックは、典型的な例だと思います。

幅広い融資援助によって住宅を購入した低所得者層(人口が一番大きい)が返済不能に陥ってしまったのです。

住宅建設・売買が米国経済を活性化したと言いましても、経済活性化の恩恵を低所得者層が収入面で充分に受け取れる社会経済システムになっていないのですから、低所得者層が遅かれ早かれ返済不能に陥ることは分かりきっていた筈です。

それでも、
経済活動のリーダー達は満足なのです。

何故なら、市場の活性化によって生み出された富の80%以上が彼らの懐に入ったのですから。

こんなことは経済活動上バランスする筈もありませんので、リーマン・ブラザーズが 「歪み」の話題提供者となったわけでしょう。

歩みが牧歌的な自国主導型であった各国の経済市場が、グローバル企業による強力な経済活動によって支配され、イナゴの大群が飛び去った後のように、開発・開発途上を問わず、食い尽くされてしまったかのようです。

美ヶ原高原の霧中の道
経済のグローバル化は、
異なった社会(国)どうしの交流を急速に推し進めるだけではなく、発展途上国の市場さえも国際市場に組み込んでしまいます。

ある意味では、
特定の価値観に基づく世界経済市場の一元化とでも言えますでしょう。

しかし、純然たる資本主義経済システムが崩壊した後も、"資本の論理"だけは生き残っている現代の政治・経済体制のままでグローバル経済が突き進んでゆく道の先には"暗闇"がある(?)だけではないでしょうか…
暗黒の世界とは言いませんが。

今までの世界経済の主流派の流れとは異なる日本独自の道(システム)の開拓を考えてゆく時期に至っているように思うのですが…

とりあえず、小泉政権時代に象徴的に失われた世界に誇れた"日本の良さ"(例えば、一億総中産階級という意識-幻想)を取り戻すための体制作りから始めましょう。

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